郷土史視察研修

きれいな青空に誘われ半袖で出かけるが、台風18号の影響か風が強い。
9時出発で山口市大内の「長野八幡宮」へ郷土史研究会の視察研修である。

「二義少年を偲ぶ」を閲覧後、この話がでて今日の実行となった。
長野八幡宮=二義少年と思っていたのが勉強不足。

参加者12名3台に分乗し出発、長野八幡宮、「二の鳥居」で説明の方と落ち合い、説明を聞いた後、参道を進み本殿でお祓いを受ける。
ちょうど、秋のお祭で、子供の剣道大会が開催され、出店も数軒出ていた。

 1089年、長野長者とよばれた平忠平が、 大内氏の崇敬あつく、大内弘世が社殿を修理し、 境内を整備。
大内氏がほろんだのちに兵火にあい焼失。その後再建。
現在の社殿は江戸時代中期のもの。
慶応二年春、毛利敬親がここの藤の花を愛でたこともある。
( 以上、説明看板より抜粋)


 (錆びた説明看板)

 (整備された参道に秋の気配)

 (奉納剣道大会)

車で移動し、「二義少年の碑」、何でも日本で2番目に大きい石碑という


 (石碑と並んで長野八幡宮ほ鳥居から細い参道が伸びている)

 (二義少年の碑説明看板)

 江戸時代のこの地を納めていた領主益田氏の家臣の作間某という人物が過酷な税の取立て をしたのである。
 若者二人が萩本藩に直訴して その取立て役人は処罰をうけ益田氏は領地没収となったが 直訴した若い二人は直訴の罪により処刑されたのである。
 長野はその後萩本藩の領地になり、農民は安泰に暮らせるようになりました。

墓は、向かいの「大塚古墳」にあるといいます。


 (大塚古墳遠景)

 
二義少年の碑視察終了、時間は11時をちょっと過ぎている、昼食には早いので、「帰郷庵」まで足を伸ばす。

この、帰郷庵、
豊かな自然が残る山口県山口市仁保上郷揚山集落にある小説家「嘉村礒多」の生家である。築後130年と聞きました。大きな茅葺屋根で囲炉裏、五右衛門風呂が残してあり、古民家の雰囲気を感じることができる。

この、帰郷庵、阿知須の老人クラブで訪れ、20,000人目の記念品を戴いたことがある。
ここまでくればと「平家の泉」まで足をのばしたが、道路拡幅工事で以前の雰囲気はなかった。

仁保の「道の駅」まで戻り昼食、大勢のお客が外に並んで待っていたが、流石事務局、予約が入れてあり、直ぐに食べることができた。

後は、帰るだけ、何時も、昼食後ちょっと寝るが、それもなく、送り届けることができた。
帰宅後は、休む間もなく太極拳へ。
一昨日来の越(背中)痛も大分緩和したが、まだ、本調子ではない。
今日も自分のめーすで。