我が家の前の道路

 我が家の前の道路は、幹線道路ではありませんが、
 広いです。
 
 でも、片方の入口は狭く、大型のの通行は出来ません。
 古い町並みからは想像できない位です。

 昨日、阿知須郷土史研究会の会長から留守中にお電話をいただいていた。
 用件はこうである。
 家の前の道路が広い理由を山口県(定かではない)関係者に説明して欲しい。
 ということである。

 しかしながら、この土地で生まれ育ていない私には難問であった。
 直ぐにご近所のお年寄りにお話を聞きに行くと、
 砂郷公民館改築記念として「砂郷のあゆみ」という冊子が発刊されており、
 お尋ねしたかたが、この件で投稿された方でした。

 江戸時代から始まった海運業で栄えました。
 その名残が、居蔵造りの街並みに見ることができます。
 当時は、帆船航海が終わると、帆布や錨綱の整備があります。
 この綱打ちは大変な作業だったようです。
 その作業を真っ直ぐな道路を利用して行われたようです。


 (居蔵造りの家、向うの赤瓦が我が家。)

 そういえば、我が家も黒板の土塀でした。
 駐車場を造る時、ブロック塀にしてしまいました。

 途中の家の前に石が立っています。
 冊子では、綱打ちに利用したのではないかと言われています。

 それと、別件でもう一件、
 明治34年、川向うの部落で大火事があり、多くの被災者がこの地に移り住みました。
 家事の教訓をもとに広い道路にしたという話もあります。

 そのせいですかね。
 この通りに、消化用のホースが格納された箱が三ヶ所もあります。
 消化栓はあったかな。

 いずれにしても、海沿いの街は道路が狭く、
 車社会から逸脱したような道路(道(みち))多い中、
 これだけの道路環境はありがたいですね。

 早速に会長にお電話を差し上げました。
 日にちをお聞きすると、11月17日ということです。
 ちょうど自治会の敬老会・文化祭が18日に開催の予定で、
 既にお役をいただいております、とお答をしました。

 少しでもお役に立たなければいけません。
 本日、この石の撮影に出かけました。
 一人のお年寄りに石のことをお聞きすると、
 「ありゃー境界の石いのー」とのお答えです。
 「昔船の紐を編む時浸かったものですか?」とお聞きすると、
 「便利が良いから使ったんじゃろうのー」です。
 
 表のこの道路からちょっと路地に入ると、
 このような石は方々に立っているではありませんか。
 これについては、もうちょっと調べてみようと思います。

 寒くなりましたね。
 写真撮影から戻ると、一枚の重ね着です。
 もう少し、秋を感じていたいですね。