遠石島記念公園

 目を覚ますと、起きだす前にテレビをつけました。
 女子サッカーの結果を確認です。
 結果は1対2で負けていました。
 銀メダルです。

 不謹慎ですが、これで良かったと思います。
 金メダルだと、予選リーグ二位通過を画策、引き分けを指示した監督が、
 持ち上げられます。
 常に全力を尽くしてこそオリンピックではないでしょうか。

 オリンピック前に負け、連勝記録が途絶えたレスリングの吉田選手、
 「負けて強くなった」と明言を残して三連覇です。
 真の金メダリストです。

 姑息な手段で金メダルでは、誰も喜びませんね。
 男子サッカーは韓国戦ですが、
 同じく韓国戦の女子バレーも頑張って欲しいですね。

 朝食を済ませると。娘一家は今日滋賀へ戻りますが、
 昼前に出発とういうことで、
 何時ものようにウォーキングへ出ました。

 水門からきらら公園へ。
 途中の交差点に小さな公園があります。


 (何時もの反対側からの水門。)


 (交差点から、遠石島石碑を。)

 この公園のある場所は、
 かつて山口湾に浮かぶ「遠石島」のあったところです。
 島は陸地から約600mの沖合にあって、干潮時には、
 周囲が干潟になり潮干狩りが出来ました。
 また恵比寿神社十七夜祭の御輿の御旅所、
 日吉神社の雨乞い霊地として住民の信仰の地でもありました。
 大正から昭和にかけて造船も存在し、海運業の振興に寄与しました。
 その後・昭和22年(1947年)国が食料増産を目指して干拓事業を始めた時、
 この中に取り込まれ昭和39年に完成とともに姿を消しました
 昭和63年完成後きらら浜と名付けられました。
 山口湾唯一人の住む島があったこと、
 景勝地であったことなど、
 この島にかけた先人の思いや夢を永く記録にとどめ、
 次の世代え引き継ぐために公園を整備しこの石碑を建立いたしました。
 (遠石島の由来から)

 お年寄りに、
 「こまい頃遠石島でよう遊んだいの(小さい頃遠石島でよく遊びました。)」
 と、お聞きしたことがあります。

 残念ながら、私が阿知須へ居を構えた時はきららの干拓は既にありました。
 きらら博があり、
 様相は大きく変わったでしょうが、
 この公園が後世に伝えてくれるものと信じております。

 汗びっしょりで帰宅、
 娘一家はやっと朝食です。
 済んでから、先ほど歩いたきらら浜の道の駅へ買い物です。

 孫は、
 「来て嬉しい、帰って嬉しい」と言うらしいですね。
 お昼前に出発しました。
 道中無事であれば良いですね。