善和八幡宮(よしわはちまんぐう)
久しぶりに隣の市に住む姉の家を訪ねる。
隣の市といっても、
山口市から宇部市に、それも車で10分位でしょう。
途中に線路(山陽本線)を挟んで参道があり、山の上には鳥居があり、道路際に「善和八幡宮」と案内板もあります。
以前から気になっていましたので、暖かさに誘われて帰り道散策に立ち寄りました。
遮断機もない踏切があります。
昔からあったものでしょう。その後山陽本線が開通したものと思われます。
参拝する人はいるのでしょうか。
線路を横断して階段を登ると一の鳥居でしょう。
その先、何と工事中。
参道にコンクリートを施工中です。
そこは田舎です。我々の方が優先です。工事関係者、まさか人が来るとは思っていなかったのでしょうね、驚いていました。
登って驚いたのは工事だけではありません。
階段を登れば直ぐに境内と思っていましたが、
完全に裏切られました。参道はまだ続いています。
桜が咲けば綺麗と思われる参道を抜けてやっと境内です。
境内由緒書よりますと。
御祭神:仲哀天皇・応神天皇・神功皇后
青岳の北方にある善和の小丘、八幡山に鎮座。
この地は藩政時代周防・長門の国境にあり、古くから境界が明確でないことから、小郡宰判、船木宰判の論争地となり、どちらへも所属せず間地(カンジ)と称せられていたが、文久年間農民の争論起り、遂に乱闘事件に発展、為に萩藩は慶応四年(1868)四月十三日車地・井関・佐山の各村から切り離し、独立の宰判を置き、善和宰判と名付け、村名も間地の名を廃し、「善く和す」の願いを込めて「善和村」と命名した。
当八幡宮は明治三年(1870)山口から今八幡宮の御分霊を勧請し、以後善和の里の総氏神として尊崇厚く今日に至る。
理解できたような、できないような。
まあ、地名の由来だけは何となく。
この八幡宮、境内の横まで車で来ることができる立派ではありませんが、舗装された道路があり、その上駐車場まであるのではありませんか。
帰り道は、工事の邪魔をしないように、まさに獣道でやっと下山しました。